リサとガスパールの ひみつ基地

Gaspard a la mer
ガスパール、海辺にて




 『海辺のガスパール』である。れびゅうついでに日本語版と米語版がそろったから比較対照してみよう。


p.1 表紙

 左脚だけ海につけてみるガスパール。これだけでこれからおこるかも知れないカタストロフがちょっと予想できるね。芸が細かくて流石と思うんだけど、海にガスの影が映っている。


p.2-3 表見返し

 南仏だろうか。広々とした砂浜と青い海。珊瑚礁の色ではないからまあ地中海だろう。


p.4-5

 おうちの居間で床に直接置かれたテレビを見ているガス。ウィンドサーフィンの映像が見える。


p.6-7

 実質的に物語の始まりのページである。ガスは水辺関係のスポーツ用品店にママと一緒に来ている。赤い海水パンツを選んでもらっているのだが、肝心のガスは先日見たらしいウィンドサーフィンのボードに釘付け。まあ、男の子はかっこいいこと色々やってもてたいもんだからね。日本語翻訳では「ぼく、ガスパール。」などと書いてあるが勿論原典には無い。
 米版で更におかしいのは「ママが水着を買う時に、サーフボードを見てかっこいいなと思った」などと書き加えてあるところ ! まあ、そういう絵ではある。


p.8-9

 説得の末、とうとうウィンドサーフィン教室に合宿できることになったガス。子供たちだけで列車に乗っているの図。乗り合わせたのは学校の子ではなく多分初めて会う子供で、ちょっと身体が大きいか年上grandである。しかも「水泳のチャンピオン」であって「じしんがあるけど」は意訳だね。ウィンドサーフィンが初めてだとも本来書いてない。本当はウィンドサーフィンでもチャンピオンになりたい、と書いてあるのだよ。「じゃあぼくとおんなじだね」と訳してしまうと意味が少し違ってくる。「僕も水泳のチャンピオンだよ」と答えたのであるから。
 このページではその青いシャツの男の子はヴィクトールVictorと名前が出てくる。けど女の子の方、邦訳の「バランティーヌ」はまだ名乗らずだ。米版では更にアレンジされていて女の子の名は「ヴァレリーValerie」である !


p.10-11

 合宿地での大きなテント。結局隣に座り合わせたヴィクトールと、女の子「ヴァランティーヌValentine」とは同じテントになったわけだが、もう一人別の女の子の名前は出てこない。
 ところが米版ではニコルNicoleになっているぞ ! 捏造。絵に描いてある白い大きな犬は可愛いが、もともと文章には書いてなかったのに。米版ではどうも絵からインスパイアされた言葉がどんどん入っているようである。「テントは犬ともシェアすることになりそうだ」だって。


p.12-13

 ガスパールの妄想。テントに着いたら間も無く眠ってしまった。夢の中ではガスは黄色の海水パンツ、赤いボードの上でうとうと昼寝。波を自在に乗りこなし、無人島で助けを求めているリサを救い出すという男の子にありがちな英雄的自己陶酔。文章では「リサの夢を見た」とだけ書いてある。絵を楽しむならこれで充分である。
 またまた米版では脚色が
 ! 「その夜」などとは本来書いてない。「リサを助けた」ともはっきり書いてない。絵はそんな感じだけどね。


p.14-15

 朝、浜辺での訓練が始まる。監督員moniteurの名は「ベッタン先生Monsieur Bettan」で、『日本へ行く』を知った今となってはなんだかフクシマさんに容姿が似ているのだがな。「水の中でもこんなに簡単かどうかやってみよう」というのが、邦訳では「こんなふうにはいかないからね」とはっきり断られてしまっている。勿論そういうニュアンスがある台詞だが、条件法・接続法を使った言い回しというのはこんなにはっきり訳してしまうと違うんだよなあ。
 因みに米版では「デュヴァル先生Mr.Duval」になっていてキャンプの相談員で、「水の中ではもっと難しいだろう」と、やはり直裁なものの言い方。んー・・・・・・


p.16-17

 出た。CATASTROPHE ! 砂浜で小さく臆しているガス。しかし、邦訳のこれだけは勘弁して欲しい。「やばい ! どうしよー!」だって。こういう今風の言葉遣いしないでくれよちひろっち。


p.18-19

 「泳ぎは全然できないんだ」と、今明かされる真実。表紙絵とよく似ているが右下にあるボードが赤である。結局水際に一人佇むガス・・・・・・どーするどーする !
 翻訳には特に問題なし。


p.20-21

 だが他にもお仲間の鉄鎚がいたのであった。テオTheoがベッタン先生の方に走っていって、水に入れない、と告白するのを聞くガス。助かった。リュカLucasとアドリアンAdrienも実は鉄鎚らしかったが、何も言わないでベッタン先生の隣に立っていた。ガスはそのアドリアンの隣に立つ。これで四人の鉄鎚集団が結成されたわけである。絵を見ると、ベッタン先生の正面に居る緑パンツ亜麻色髪がテオ、後ろの青パンツ黒髪がリュカ、そして一番手前こげ茶髪(赤いパンツの筈だがここでは見えない)がアドリアンということになるだろうね。
 米版では3人の小さな男の子がみんなで先生に相談したことになっている。「一人じゃなかった !」との安堵の言葉もはっきりと。


p.22-23

 鉄鎚会議。お飲み物はコーラかと。ベッタン先生はやさしいね。今泳げてるみんなも前は鉄鎚だったんだよ、などと言い聞かせている。ヴァカンスの終わりには君たちもみんなチャンピオンさ、だって。
 米版では「昨年の夏は」となっていて、そんなことは原典には書いてないんだがなー。


p.24-25

 そしてプールでの特訓が始まった。赤いボードにつかまってバタ足の練習だ。ところでベッタン先生の持っている白い輪っかつき棒は何ですかー ? 溺れた時にそれで引き上げるのかな ?
 米版では更に脚色あり。ガスは「キックボードでバタ足するののチャンピオンだったよ」だってさ。


p.26-27

 海に戻って来た時、四人はみんな秘密兵器を持っていた ! そして泳げるみんなは羨ましがった(というのはガスの妄想だと思うんだが・・・・・・法は直説法複合過去つまり断定で書いてある)


p.28-29

 オチ。鮫型の浮き輪のせいで羨ましがったと。


p.30-31 裏見返し

 女の子のウィンドサーフィンボードに曳航してもらう鮫ガス。ひー。それでいいんかい
 !


p.32 裏表紙

 例によってポラロイド6枚である。「僕、列車の中で」「浜辺」「ウィンドサーフィンの練習」「監督員のベッタン先生」「僕のボード」「リサを救ったんだ」・・・・・・これだけ見てたらいかにも自慢話である
 !! 予告編と本編とは大違い。おっかしー。このうち最後の2枚はガスの夢の場面だしね。まあ、こういうものだよね。



 いつもリサとガスパールの本を読むたびに感じるのはヒューマニズムである。いや、そういう英語で言うと人道主義みたいに誤解されてしまうから言い換えよう。ユマニテ、とでも。つまり、文字通り人間臭さ。人間の本来持っている欲望をありのままに滑稽に描くこと。綺麗ごとではないのである。それがこれらの作品群の魅力だと思う。

 リサだってガスだって特別悪い子ではないし、悪いことをしようと意図しているわけでもないのだ。気持ちに素直なだけで。それが、ことさらに見せられるとヒトというのは恥じ入るというか、身につまされるというか、ヒトゴトとは思えず笑ってしまうわけだ。人間は理想だけで出来てはいない・・・・・・



 今思い出した。モリエールの一連の喜劇だ。やはり、アンヌ女史はフランスの伝統上にあるのかも知れない。

(2008/03/19/mercredi)



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